ジャーナリング、やってみた/違和感を拾う

梅雨明けの空があまりにも青くて高くて透明で、
「そうだ、山、行こう!」
とパッと思い、車で20分ほどの霧ヶ峰へ。
ご近所の公園に行くのと同じテンションで
山に行けるのが、とてもありがたいです。

霧ヶ峰といえば、
某メーカーのエアコンの名称として
とても有名ですが、よくここの名をとったなあと、、、
(当時は霧ヶ峰の場所など知らなくて)

車で行けるところは1800mぐらいなのですが、
目の前には高原が広がっていて、
なんかちょっと日本っていう感じじゃないような
(わたしのイメージはスイス!)
まさか町から20分でこんな絶景が広がるとは!
みたいな場所なんです。

最初に行ったのは冬で、枯れ草が広がっていて、
モンゴルとかチベットの高原みたいなかんじ。
夏になった今は、まさに想像していた通りの緑の草原で!

(なんかぜんぜんよさを伝えられない、、、
ときどきインスタに写真あげてますので、みていただけましたら、、、)

それはもう、間違いなく気持ちがよい草原でのひとときでしたが、
同時に冬の枯れてる感じもいいよね、とも思いました。
うつくしいものは四季を通してうつくしいのだと、
再確認した瞬間でもありました。

そうそう、近ごろは、
「ひとつひとつを感じる」「感じ直す」
ということに注目しています。

前回のブログで、先月の夏至から
自己流ジャーナリングをしていると書きましたが、
それが「感じる」「感じ直す」ことにも
すごく役立っていて。
(そのためにはじめたわけじゃないのですが、
いま読んでいる本も「感じる」「感じ直す」ことに
すごく関連してもいて、自然とシンクロしていくものですね!)

では、どんなときに「感じる」「感じ直す」
ことをしているか。
すべての瞬間に! 
という気持ちはベースにもちつつ、

・違和感があるとき
・感情の揺れを強く感じたとき

に立ち止まるようにしています。

できれば、この感覚を得たその瞬間に
「感じる」「感じ直す」のがベストです。

(いま一瞬、口にしたことがフィットしなかったような、、、)
(なんかモヤっとするけど、これなんだ?)

前者の、自分が発したことばに違和感を感じた場合は、
すぐに取り消して言い直します。
相手がいなくてひとり言の場合も。
(だって、わたしが聞いているから)

後者のように、すぐに浮かんでこないときは、
時間を置いてジャーナリングのときに感じ直すと、
より精妙な感覚を拾えるな〜と感じています。

わたしが行っているジャーナリングは、
前日、あるいは前々日を思い出し、書き出すやりかたです。
(ずぼらなもので、つい何日かまとめてになりがちですが、
毎日書きだしたときのほうが、より生々しく、
「感じる、感じ直す」ことができると感じています! )

ノートを前にすると、最初はよく、
ネガティブな感情をもったある瞬間が、
浮かんできていました。
(怒り、悲しみ、イライラ、モヤモヤといった未消化の感情は、
自分が思っている以上に強くて、
こころに残りやすいんだなあ、という気づきも)

ふっと思い浮かんだことをきっかけに
思うままに書いていきますが、そのときの勢いがすごくて!
ミミズがはっているような字とはよくいったもんですが、
自動書記ってこんな感じかな〜と(知らんけど、、、)

わたしなりのコツは、
起こったできごと自体はサラリと書き(あらすじ程度)、
その瞬間の感覚や感情をできるだけ丁寧に書きだす、
ということです。
できごとはきっかけにしかすぎなくて、
そのとき起こった感情に寄り添っていきます。

たとえば、あるできことが起きて、
すごくイヤな気持ちになったとします。
「あの人とああいうことが起きて、イヤな気持ちになった」
などと書くだけで終わらず、
「イヤな気持ち」の部分を、どんなふうにイヤなのか、
丁寧に掘り下げていきます。

すると、
悲しみ、怒り、寂しさ、嫉妬、ねたみ、、、、、
いろんなものがずるずると、
芋づる式で出てくるのです。

わたしのことでいえば、あることから、
中学校時代の友人関係のトラブルを
なんだか似ているなと思い出し、、、
その記憶は唐突にでてきたのですが、
わたしにとってはかなりインパクトがあったつらいことだったのに、
記憶から消していた自分にビックリ。
いや、つらかったから消していたんですね、きっと、、、

ことの詳細は覚えていませんが、
感情だけがありありとよみがえりました。
今の自分から昔の自分へ、
つらかったよね〜、さみしかったよね〜とたくさんの共感と、
たくさんの光をおくりました。
ついでに、記憶に残る登場人物みんなへも✨✨

とはいえ、毎日毎日、
そんなに大きなことって起こらないんですよ、、、
ジャーナリングでは、だんだんすくい網の目を細かくしていき、
ささいな引っ掛かりや、ふと思い浮かんだその日の映像、感覚などを
拾うようになりました。

最初は「金魚すくい」だったのが、
だんだん「エア金魚すくい」になる、みたいな(なんだそれ)。
「え、そこになんかある?」
と、手応え感じないままにすくってみて、掘っていくと、
やっぱり何かしら出てくるんです(笑)
直感ってすごいなって思います。

約1か月間、ジャーナリングをつづけてみて、
目の前に起こることはすべてクリーニングの材料だなと、
逆にいえば、クリーニングのためにすべてのことが起きているなと、
実感とともに確信しています!

頭ではわかっていたけれど、
ジャーナリングという体験と体感をとおして、
あらためてそのことを、
「ああ、そうだった!」っていいながら、
毎日肚に落としこんでいるような感じかなあ。

すくい網の目が自然と細かくなっていったっていうのも、
けっこう大きなことなんじゃないかって思います。

だって、
いつもは粗くつぶしてつくっていたポテトサラダが、
口当たりのいいマッシュポテトになるわけで、
大元は一緒だけど、
見た目も味わいもぜんぜん違う料理なわけで!

呼吸法を深めることは、
俯瞰力がつくことにつながっていきますが、
ジャーナリングも同様の効果を感じます。
呼吸と相性がいいな、とも!

どっちもぜんぜん簡単じゃないし、
一生深めていくことではありますが、
やればやるほど、慣れてやりやすくなるし、
深めるほど自分のことがわかっていく、
といううれしい副産物も!

このことを個人セッションとしてお伝えしたいな、
というインスピレーションがわいてきています!
ある期間、文章と対話と呼吸レッスンと三つ巴で、
その方に伴走できたらなと、、、

ランニングしながら、
ときどきテニスやキャッチボールをするイメージ?
文化系のわたしにはそれだと疲れる気がするから、
散歩しながら、ときどき交換日記するかんじ?
(むりやりすぎてイメージわきにくい 笑)

いずれにせよ、もう少しジャーナリングをつづけてみて、
あらわれてくる形をすくいたいなと思っています。

さて、7~8月のレッスンの予定を更新しました!
なんと今週は4連休なのですね〜。

22日のレッスン<あゆみ食堂のごはんつき>はあと1名、
24日の呼吸レッスンは、余裕ありです!

お時間合います方は、ぜひ◎