「どうして諏訪に引っ越してきたの?」
とよく聞かれます。
あれこれ答えてきましたが、少したつと、
やっぱりあの答え、もう一歩しっくりこないんだよな、、、
という気持ちになり。
でも、また聞かれる、また答える、
聞かれる、答える、、、を繰り返し、
そのたびに出てくる違和感を、
少しずつ少しずつたどっていくうち、
あるときピタっときた答えが
「水」でした。
一時期、わたしはフラワーエッセンスを習っていたことがあって、
その先生とのご縁でこの地に導かれたのですが、
そこをもっともっと掘り下げていったら、
先生のお宅で合宿をした
翌日の朝の一場面を思い出したんです。
冷たい水でパシャパシャと顔を洗ったとき、
(ああ、なんて気持ちいいんだろう、、、、、、)
って、ほんとうにほんとうに、こころの底から思いました。
冷たい水を浴びた肌の細胞ひとつひとつが
うれしいーーー、気持ちいいーーーって
言ってるような。
こうやって書くと、
「え、冷たい水で顔洗うって、けっこう普通だよね」
と自分でも思いますが(笑)
とにかくこの実感が最終打となり、
「水が冷たい土地に住む!」
と決意しました。
もっといえば、
その前日に受けたワークで
涙が止まらないほどの大解放が起こったことも、
大きく関係していたと思います。
たしか「今後のビジョンを書き出す」
ワークでした。
いろんなアプローチからビジョンを描き、
より細分化したアファメーションを行う、といったもので、
あまり号泣するようなたぐいのものではないはずです。
こういったワークには慣れているほうですから、
いつもならスラスラことばが出てくるのですが、
この日はなんだかキレがわるい、、、
それでもなんとかかんとかしぼりだして書き、
先生にチェックしてもらいます。
すると、先生がさらに問いを投げてくれて、
もう一段階ビジョンがくっきりする、、、はずが、
なんだか答えが出てこない、、、
答えられないということはビジョンが描けてないんだな、
とすぐ気づきましたが、
かといって、どうにもなりません、、、
淡々と問いつづける先生に、
ひたすらフリーズするわたし、、、、
その場には、友人、知人、はじめて会った人など、
たしか6~7人いたと思います。
みんな、自分のワークに集中しながら、
うっすらわたしの様子も気にしている、、、
(同じテーブルを囲んでいるのだからあたりまえですが)
なんだかはずかしい、、、
ださい、、、
いたたまれない、、、
でも、ありがとう、、、
いや、そんなこと思ってる場合じゃない、、、
自分に集中しろ、、、
いろんな思いがあふれにあふれたあと、
最終的に頭の中がまっしろになり、
涙がぶわーっとあふれ出てきました。
人前で泣くなんて、めったにないことですから、
あれあれあれー、と驚く自分もいましたが、
涙は止まる気配がありません。
そのときの自分の気持ちになってみると、
きっとこころの奥底に、
移住することの恐怖、不安、寂しさ、焦り、
不具合を起こしていたパートナーシップ、
それらにまつわる妄想など、
しまいこまれていたものたちがどばっと出てきたのかな、
と思います。
その後、和室にひとり、ごろんとなり、
天井をみながらただただ涙を流し続けるわたしを、
先生はじめ、みんなは放っておいてくれました。
先生とみんなのワークをうっすら耳にしつつ、
流れる涙と鼻水はそのままに(笑)
すると、みんなの声が遠のいて、
人に頼れない自分、見栄っ張りな自分、
夫にあたる自分、エゴにまみれた自分、、、
なんかが浮かんできます。
ああもう降参だ〜、
こんな自分はいやだけど受け入れるしかない〜
そう思ってあきらめたとたん、今度は
「わたしはわたしを1ミリも否定したくない」
という思いが強くわきあがりました。
ものすごい奥から聞こえてきた、
野太いインチャの声だった気もします。
そうか、これまで誰かに否定されたり、
受け入れられてないなって感じたあれこれは、
わたしがわたしを否定したり、
受け入れてなかったあれこれなんだな、、、
このあたりではもう、
涙がとめどなく出てくることが
気持ちよくなっていて(笑)
ああ、出せてよかったな~
よくやってるよー、自分
この場があって本当によかった、、、
と、やりきった感でいっぱいでした。
ここで、えいっと話を戻しますと、
移住のきっかけは、ひとことでいえば
「水の冷たさ」となりますが、
そもそも、東京に住んでいる間、ずーっと、
「水が冷たくないな、、、」
と感じていたんですよね。
最初は、冬になったら冷たくなるのかと思ってたけど、
そんなこともなく、
引っ越しても変わらない
(少なくともわたしが引っ越した範囲では)。
なんだかな〜としょんぼりしましたが、
考えたってどうにもならないから、
そのうち忘れることにしたのです。
実際は、忘れるというより、
意図的に水に対する感受性を鈍化させたんだろうと思います。
(きっと同様のことが日常茶飯事で行われているんだろうな、とも)
諏訪に引っ越して、翌日の朝感じたのは、
やっぱり冷たい水の気持ちよさでした。
正確にいえば、先生のお宅で感じたほどの
きりりとした冷たさではないのですが(笑)
それでも充分に気持ちいいし、たまらなくしあわせで、
毎朝毎晩、水にふれるたびに同じように感じます。
東京の水がいいとか悪いとか、
そういうことが言いたいわけではありません。
水があまり冷たくないことで守られていたことも、
きっとあったはずだから。
無意識のうちに、それもだいぶ長いあいだ、
冷たい水にふれることを気持ちいい、
と感じることを封じていたこと、
それに気づき、解放し、
毎日冷たい水にふれられるようになったこと。
それってすごく小さいことだけど、
わたしには大きなことで、
そこに気づき、解放できたことに意味があるのかなと。
場所を長野に設定したのは、
引っ越しというドラマチックさを加えたほうが
人生の彩りが豊かになるんじゃないかと、
わたしの魂がそう決めただけで、
あまり大きな意味はないのかも。
いつだってどこだって、
自分次第で解放は起きるし、起こせるのではないかしら。
無意識に封印してしまった感受性を取り戻す大切さは、
長野での呼吸レッスンを通して
ますます感じているところですが、
感受性を取り戻すことって、
自分に軸を戻すことにつながるのかな
とも思います。
ではそのためにどうするか。
基本すぎて、地味すぎて、
いやになっちゃうかもしれませんが(笑)
ここはやっぱり、
日常という足元をしっかり見つめ直すことでしょうか。
コロナの騒動で、
多くの人が自分と向き合わざるを得なくなりました。
これって、誰にとってもほんとうにすばらしい貴重な機会だと、
わたしは感じています。
わたし自身は、コロナで世界が止まったことをうけ、
もともと2020年をメドに自然に近い場所で暮らしたい、
という思いが本気に変わり、
毒出し的な大解放が起きて、
引っ越すという選択をし、今に至ります。
足元を見つめ直してどうなるか、は人それぞれですが、
同じぐらい大切なのが
「徹底的に出す」ことかなと、
自分の体験からは感じています。
本気度が高ければ高いほど、
出てくるものも大きいし、
解放度も高くなるのかな、、、
わかっていてそこに向かうのって、
なんらかのフェチなのかなとも思いますが、
もはやこの時代を選んで生まれてきた魂という時点で、
そうなんでしょう(笑)
毒出しフェチ、、、?
解放フェチ、、、?
いや、どっちでもですね!
まだしばらく、落ち着かない日々が続きそうですが、
ますます注力していきたいのは、
「自分のこと」だなと感じます。
徹底的に出したいとき、
本気で自分に向き合い方に、
呼吸はきっと役に立つはずです。
ご縁あって出会った方に、
もてるすべてを惜しみなく発揮できるように、
ちぎってどこかに置きざりにしてしまった
有形無形の魂のかけらを取り戻すお手伝いができるように、
わたしもますます自分に全集中したい。
わたしにとってそれは、冷たい水で顔を洗うのと同じぐらい、
細胞がよろこぶことなのです!
☆6月の呼吸レッスンは、
6/5(土)、10(木)、26(土)に開催します
くわしくはこちらへ!