「毒出し」という概念があります。
冷えとり健康法ではおなじみのことばですが、
「毒」とは、からだやこころにたまった
毒素や老廃物のことで、感情もそのひとつ。
ときどきドカンと体調をくずすことで、
大きく「毒出し」をするチャンスに恵まれます。
毒出しは、病気だけでなく、ケガですることもあり、
まわりをみていると、
病気派とケガ派にわかれるなと感じていて、
わたしは完全にケガ派で、ここまで生きてきました。
幼稚園のころ、交通事故にあい、
小学生のころ、バイクにぶつかり、
19歳のとき、スキーで骨折と、
過去に何度か手術もしているし、
大人になってからも、自転車で何度も派手に転んでいて、
ちいさいものは思い出せないほど、、、
冷えとりをはじめて、
「ケガも毒出し」という考えかたを知り、驚いたのですが、
自分がケガをしてきた理由が、毒出しなのかと思ったら、
すごくほっとしました。
今となれば、
「ケガをする自分は不注意のかたまりで、
ダメな自分なのだ」
と思いこんでいた節があることに気づきます
(不注意な性質にはちがいないのですが)
おもしろいもので、
「ケガも毒出し」ということを知ってから、
ケガが一気に減りまして!
この6~7年のケガは思い出せません。
冷えとりのあと、呼吸ほかさまざまな知恵を知り、
どんどん試して、よかったものは取り入れていることも、
大きく関係していると思います。
(実験好き&素直なのが長所かと 笑)
一方で、大きな病気はこれまでしたことがなくて、
昨年末から年始にかけての「長い不調」は、
ケガ派のわたしにははじめての体験でした。
最初は風邪かなと思ったのですが、
頭痛、吐き気、目の痛み、後頭部の痛み、
耳(難聴っぽくなった)など、
いろんな症状があらわれては消え、あらわれては消え、
そのたびに休んで、仕事して、また休んで、仕事して、
という感じ。
気分もぜんぜんあがりません。
もし会社勤めで
こんな微妙な体調不良が続いたとしたらら、
我慢して気合いで(っていうのが結構得意なので)、
働いちゃうんだろうな、とか考えていました。
今おもえば、
「不調ちゃん」からわたしへのメッセージとしては、
「完全に休みなさい」だったと思います。
結局休みつつ、仕事もしちゃっていたので、
こんなに長引いんただろうなって。
ほらほら、もっと休んで休んでって、
不調ちゃんは言ってくれていた気がする。
ではなぜそうしたのか、といえば、
ここ数年で見えてきた理由があって、
「人生において、仕事のプライオリティがかなり高め」
ということがあります。
さらにその奥には、
「仕事しないと認めてもらえない」
「がんばらないと認めてもらえない」
という気持ちがあって
(並木良和さんのことばでいえば無価値感でしょうか)、
その気持ちが、完全に休まない、といういより
休めない自分(作業はしてなくても気になってしかたない)
をつくりだしているな、
と感じています。
インチャ的視点でみれば、
「がんばる自分」はここまで生きてくるのに
必要だったわけで、そこには「ありがとう」しかなく、
でも、もう2020年のわたしには必要ないので、
統合したり、息をはいたり、ポノったり、半身浴したり、
を、不調ながらもしていました。
なんせ、これまでずっと
「仕事大好き! がんばるの大好き!」
って、自分で自分に、
ポジティブな呪いをかけてきちゃってるので(!)
なかなか根深いものがあります。
(いわゆるよきもの、正しいもの、ポジティブな思いが、
自分の中に揺るぎなく存在している人は、
「ほんとうにそう?」って一度疑ってみると、
発見がありそうです!)
でも正体が見えたら、こっちのもの。
あとは手放していくだけ。
やる! のみ。
病気もケガも、事故だって、
表現が違うだけで自分へのメッセージでしかないです。
「ケガが毒出し」だってわかったら、
実際、ケガは減ったんです!(当社比)
現象から何をよみとるか、受け取るか。
その場でよみとれることもあるし、
あとで気づくこともありますが、
これは、やればやるほど精度があがるし、
自分が変わると、同じことから
さらなるメッセージを受け取れるのもおもしろいです。
最近はそれに加えて、
からだの感覚や変化を精妙にみていく練習も
していますよ!
たとえば、
◎心拍が早い・遅い
◎手足の温度が高い・低い
◎気分があがる・さがる
◎肩があがっている・さがっている
◎からだが前に引かれる・後ろに引かれる
◎からだの揺れ方
など。
ことば以上にすばらしい、
可能性しかない「からだ」に、
今年はもっともっとコミットしていきます✨
⭐︎コラボレッスン
1/25(土)17:30~19:30
「2020を超えてたのしむ」
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