インチャの声をたどってみたら

棚おろしやら、インチャやらと向き合ってきた、ここ1か月半。
自分の中の、これまで忘れていた、あるいは封印していたテーマが、
続々と浮かんでくる日々でした。

そのことを友人と話していたら、友人が実家でたまたま、
子どものころに友だちとしていた交換日記を見つけて驚愕した、
という話をしてくれました。

日記なんて、インチャの声のかたまりじゃないかと、

ひとごとながら、ぎゃーっとなったんですが(笑)

というのも、わたしも中学生のころは、
毎日のように日記を書いていたんですね。

数年たって日記を読み返したら、
ぐちとか、怒りとか、悲しみとか、
マイナスな気持ちばかりが吐き出されていました。
人にいえないかわりに、ということだったのかな、、、

当時は脳が若いせいか、記憶力も最高潮によくて、
日記を読んだ瞬間、記憶が蘇り、追体験で相当、気分が落ちまして。
その場で、日記はビリビリにやぶいて捨てて、
継続して日記を書く、というのはやめました。

なんかそのことを瞬間的に思い出し、
人の日記ながら「燃やしたい」とまで思ってしまいました。

言葉にはしていませんが(笑)
これもインチャの声ですね
(そしてわたしってやっぱり、火の性質なんだな、、、と)

芋づる式に思い出したのは、社会人になって、年数が経つにつれ、
どんどん同窓会がたのしく思えなくなっていったこと。

昔の話で盛り上がるより、現在の話を聞きたい気持ちが、
年々強くなっていったのですが、友人たちは違ったみたいで、、、
同時に、昔の記憶がどんどん薄れていって、
友人から聞く自分の話が、ぜんぜん自分のことと思えない、
ということも増えました。

それはそれで、ひと事のように聞けてたのしかったのですが、
「その記憶、ほんと?」とも思ってました。
思い出は美化されたり、大げさになったりするし、
友人がわたしのことを見たいように見ているだけじゃないかなって。

話はそれますが、少し前にある先生のセッションを受けた際、
わたしには友人がいないと言われまして(笑)
「え! そこそこいると思うんですが、、、」って言ったら、
「あなたが思ってるだけ!」と、笑顔で言われました。

でも、なんかわかる、、、って腑に落ちる自分もいて、
同窓会のこと書いてたら、やっぱりわたし、友だちいないのか、
って思いました(笑)

とはいえ、あんまりさみしくも、ショックでもなく、
さもありなん、という感じ、、、

で、何がいいたいかと言いますと、
思い出とか記憶とかって、あんまり重要じゃないんじゃないか、
ってことなんです。

必要な記憶は、覚えてる人が教えてくれたり、ふっと思い出したりするものだって、
それはもう、完全に確信しています。

困ることなんて、まったくないです。

もはや写真とか、アルバムにも思い入れがなく、
あればあったで、思い出プレイみたいな感覚で楽しみますが、
その程度のものでいいのかなって思います。

火の性質的には、うしろ振り向かずに前に前に行きたい感じ。

ちなみに、「アマミヤ」も「アンナ」も「あ」からはじまるので、
姓名占い的にも、相当な猪突猛進タイプらしい(爆)

ホ・オポノポノでは、記憶をクリーニングしてゼロになることだけが、
わたしたちにできることだと教わりましたが、すごく共感します。

そして、呼吸法で行うことも、ホ・オポノポノとまったく同じ!

「今のわたし」は、常に、それまでの自分の「結果」なわけで、
呼吸にたどりついたのは必然だったのだなと、しみじみ実感しています。

インチャを掘っていくと、毎度思いもしないゴールにたどりつきますが、
自分を知るって、ほんと何よりおもしろいこと、、、!
みなさんも、声らしきものが聞こえたら、
ぜひ、問いかけてみてくださいね。