先日、あちこちネットサーフィンしていたら、
思いもよらない方向へと広がっていき、
おもしろいブログに出会いました。
河相我聞(かあいがもん)さんの「お父さんの日記」。
がもんさんといえば、その昔、「天まで届け」という大家族もののドラマを、
よく見ていたのを思い出しました。
早くに結婚されて、今はシングルファーザーで、
男の子2人を育てていらっしゃるそうです(おひとりはもう成人されてます!)。
何か文字を読んでいるとき、自然と目が止まるのは、
「呼吸」や「からだ」というフレーズ。
がもんさんのブログでも、おもしろい記事を見つけました。
「自分の体は本当に自分のモノなのだろうか?だって「自分の」と言ってる割に
思い通りにならない事が多いじゃん」
かあいがもん「お父さんの日記」より
常日頃、がもんさんは息子さんに「体だけは大切にしなさい」と言っているそうで、
もし、息子さんから「どうして?」と聞かれた場合になんて答えるか、
を、ひとり問答で掘り下げていってます。
なかでも、
「自分」のって言葉をつけるだけで自分の思い通りになると錯覚してしまって
いるのでは無いかと。
(中略)
自分のモノだから何とか出来ると思っていると、この様な不毛なやりとりが生まれるのではないか
という記述に、「やだ、思ってるカモ!」 とハッとしました。
からだだけじゃないですね。
夫、猫、親、脳、内臓、あるいは、机、椅子、パソコンだって、
はたして「わたしの」ものなんだろうか?
「わたしの」って思っているのは、、、頭? 心? エゴ?
考えはじめると、ぐるぐるしていきます(笑)
心身一如=からだとこころはひとつ、という考えは、
東洋医学、武道、伝統芸能などの根っこにあるもので、
その意味や感覚について、よく思いをはせているのですが、
がもんさんのからだと心に関するお話を読んだら、
からだと心の関係性が自由になったように感じました。
束縛し合わないカップルになった、みたいな!
もっと自由な関係でいていいんだネって。
もっともっと、自分のなかにある常識とか、思い込みをとっぱらって、
からだのこと、みつめていきたいです。